子供の遊びを卒業できないおじさんの見る夢
今週のお題「卒業」
きっとこのまま1年も持たずに更新は途切れ、留年することまで折り込み済みだ。
なにせ、このブログは作ったプラモデルの感想を書くというただの備忘録だもんで。
無論こんなメモ帳みたいなモンどこで書いてもいいのだけれど、アメブロで始めたらいきなり更新できなくなる不具合に見舞われ、いそいそと移転してきたわけだ。
せっかくはてなに来たんだから、なんだかそれっぽいテキストでも書いてみよう。
「あんたガンダムいつ卒業すんの?」
「いい加減子供の遊びは卒業したら?」
という近親者からの脅迫。
「プラモデルは子供の遊び」というレッテルが趣味者には永遠に付き纏う。
だがファミコンが登場して以降、プラモデルは子供の遊びの主役から転げ落ち衰退の一途を辿っているように見える。私の子供時分でも精々がBB戦士やミニ四駆を小学生が作っていた程度で、大真面目に作っている奴なんて見たことも無かった。
実のところ、プラモデルが子供の遊びとして認知されていた時期はプラモデルが登場した60年代から80年代末頃までの20~30年にすぎない。
ガンプラというキラーコンテンツは95年からまた勢いを加速させるが、メイン顧客はあくまでも初代ガンダム放映時の子どもたちへ向けてである。
その頃に若き日を過ごした、おじさん軍団が辛うじて今のプラモデル業界を支えている。
なんだおじさんばっかじゃん。
現実は非情にもおじさんばかりが熱中しているし、そのおじさんたちも既に老眼に苦しんでいる有様である。
おじさんたちにはファミコンなどという魔法の箱もなければ、ネットという無限の空間も無かった。おじさんたちは限られたTVアニメや映画などを礎にして想像力を働かせた。それをカタチにできるものがプラモデルだったという話だ。
プラモおじさんたちが未だに子供の頃の遊びを辞められないのはなぜだろうか。
懐古主義か?
それもあるが、おじさんたちには未だ醒めない夢があったんだ。
「もっと、精密で本格的なプラモデルが欲しい」
「あんな戦車や、こんな飛行機のプラモデルも欲しい」
そんな事を夢想していた子どもたちが大勢居たのは想像に難くない。
そしておじさんたちが夢見た明るい21世紀なんてものは来なかったが、今世紀のパソコンとインターネットの普及はプラモデルの開発と流通を爆発的に進化させた。
昔通った模型店が次々と廃業していく切なさを味わいながら、昔作ったプラモデルを手に取り懐かしさに浸る。単なる懐古主義ならここまでで終わる話なのだが、この先にはおじさんたちの夢の続きがあった。
プラモデルはいつの間にか遥かに精密でリアルになり、聞いたこともない戦車やプラモデルメーカーが山のように出来ていた。
それはもう飽食とも言えるほどのラインナップで、昔では考えられなかったスピードでプラモデルの世界はアクティブに動いている。
だからおじさんたちは一度卒業したはずの夢の追走を今やっているだけである。
夢を掴んだ大人たちの遊びは果たして子供の遊びの焼き直しだろうか?
決してそうではなく、たった60年前に始まった文化がやっと大人の要求に応えられる趣味として成熟したのだと私は思う。